混沌への弾道

―早稲田大学代数幾何学セミナー懇親会史1―


はじめてのおでんパーティー

最近頓に物忘れが激しく、いろいろな、後に伝えるべき出来事をはじから忘失しているようなので、とりあえず、身近なところから...

有馬研究室の昔の忘年会、または、長期休暇前の打ち上げ等は日高文夫さん(現在専修大学)などを幹事として、馬場の『磯浜』などで上品に行われたりしていました。有馬先生が「○○○日頃に△△△の会をしようと思うから、店の予約等をしてくれ」、と日高さんにおっしゃって、有馬研の飲み会が行われていたのを覚えています。代数幾何学セミナーの忘年会を学内を会場として行ったのは、1984年12月の《おでんパーティー》が最初だったと思います。

どういう理由か、どういうきっかけか、また、どういう事情か、今になっては全く思い出せませんが、とにかく、たしか私が博士課程1年のとき、忘年会は理工学部校内で、おでんをつくってみよう!!!、ということになりました。これが、代数幾何学セミナーのはじめての《おでんパーティー》でした。セミナーをする部屋でおでんをイタダクということは当時、解析系などでは既に行われていましたが、最近の代数系院生室のように、学内での煮炊き飲酒放吟が一般的であるという状況でもなく、我々にとっては画期的なことと感じました。そのときの代数幾何学セミナー忘年会の参加メンバーは、橋本喜一朗氏をはじめとして、私の第2の指導教官でもある現在鶴見大学の石村貞夫さん、そして、院生だった星 光一君、平塚太郎君、中坪宏明君、山脇教明君、その他、私も含めて、8人居た、と記憶しております。もうひとりはたしか、渡辺雅之さん(現在前橋工業短大)だったのかも知れません。丁度、橋本先生が早稲田に赴任されて初めての12月でした。宮崎 誓氏(現在長野高専)は、幸か不幸か帰省していて参加しなかったように思います。メニューは、おでん、日本酒、ビールのみで、今から考えるとかなり質素でかつ禁欲的でもありました。そして、その当時の会費は、有馬先生からの莫大な資金援助のお蔭もあり、一人あたり千円も払えば、食べ切れないほどのおでんを用意して、おつりが来る状況でした。酒の残った一升瓶を、石村、橋本両酒豪らがラッパ飲みをして空にし、その会は、きわめてワセダ的に締めくくられました(いやはや、これはすごかった........)。

それまでの、『磯浜』などで行われていた打ち上げなどには、有馬先生もいらっしゃっていましたが、その最初のおでんパーティー以降は資金的に援助してくださるのみで、有馬先生はおいでにならなくなりました。また、このころ勝手に会場として使っていた数学教室会議室の近傍の部屋を研究室としていた先生方から、もう少し静かにしていただきたい、とのお叱りを受けていた様子ですが、当時我々には何もおっしゃらずに、有馬先生が数学科教室会議で我々のためにひたすら、頭を下げてくださっていたようであります(有馬先生、本当に申し訳ありませんでした+ありがとうございました)。 【続きはここ
[1995年7月]


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