数学者の日曜日

「大学への数学」2003年8月号, 巻頭言, 原稿


「先生、日曜日は何をしているのですか?」
「何してるって、... えーと...」
「入試問題とか、解いたりしてるんですか?」
「はぁっ? ...」
これは、学生、特に新入生との典型的ダイアログのひとつである。もうかなり慣れたが、数学者ってそんな風に思われているのか、と勤め始めた頃は本当にびっくりした。大学受験を控えた方や受験以来数学とは縁遠くなってしまった方の認識が『数学=受験数学』であっても無理ないのかもしれない。
■文部科学省の『高等学校学習指導要領』には、数学I、II、III、A、B、Cの各教科ごとに『内容の取扱い』という項目があり、高校の授業や入試問題出題の際の注意が事細かに書かれている。受験数学を、文科省が制定した『指導要領』という厳格なルールのもとに行なわれる由緒正しい『伝統空手』に例えるならば、プロ数学者が生業とする数学は、『PRIDE』や『パンクラス』、『修斗』などの総合格闘技となるだろう。いや、真の数学では、論理的整合性が保たれるなら反則技も禁じ手も一切なく、基本的には何をやっても良い。相手を倒す (=未解決問題を解く) ためなら数学者は手段を選ばない:もちろん使ってよい数学理論に制限はなく、自分の専門分野にこだわらず、他の分野のどんな理論でも使えるものは何でも使うし、既存の理論でダメなら自分で工夫する。未解決問題の解決が数学研究そのものというわけではないが、数学は、まさに vale tudo (ヴァリ・トゥードゥ) の世界である。
■「○×大学では、こんな問題を出したんだって。どうやって採点するんだろう、勇気あるね」なんて会話を数学者どうしですることもあり、入試問題を解いたり作ったりするのが趣味という方もまれに見かけるが、一般的には問題自体に対するプロ数学者の関心は残念ながらあまり高くはない。受験数学をつまらないと決めつけたり否定したりする気は毛頭なく、それなりにルールのまとまったゲーム環境として楽しめるものであることは間違いない。しかし、血湧き肉躍る vale tudo の世界を知ってしまい、ルールだらけの窮屈な世界にあまり面白さを感じられなくなったとしても不思議はないだろう。だから普通の数学者は、日曜日に入試問題を解いてみようなどとは間違っても思わないわけである。

* * *

「先生の研究している数学は、社会で、何に役立っていますか?」
「役には立ってないですね, 何にも」
「ええっ? 何にも、ですか ...」
これも頻出ダイアログのひとつである。学生のみならず社会人の方からも尋ねられる。役に立たないと答えると、こちらに気遣ってか、「では、なぜ数学の研究をするのですか?」という最も重要な質問を飲み込んでしまう人が多い。自分の専門は『代数幾何学』であるが、数学の業界では比較的大きな分野である (高校数学の『代数・幾何』とは別物)。しかし、自分の研究が実社会で何かに役立っていると主張する代数幾何学者は多分いないし、役立たないことを気にする者もいないだろう。
■商業的側面を脇におけば、音楽や美術、映画や演劇などが世の中の何かの役に立つために存在するのではないことは明白だろう。数学についても全く同様である。もちろん応用を目的とする分野もあるのだが数学のほとんどの研究では、実利や効用が目的ではなく真理の探求や美の追及が根底にあり、数学は限りなく芸術に近い学問といえよう。だから研究対象としての数学については『世の中の役に立つようになったら、もう数学ではない』くらいの極言というか暴言も吐いてみたい。

* * *

「数学って、vale tudo の芸術なのですね!」
「一体誰がそのようなことを言ってましたか?」
「えっ?あのー、実は、ある雑誌に...」
「そんな雑誌、もう読んではイケマセン!」
これは、学生と少々カタイ数学教師との想定ダイアログである。私なら「そう、その通り! よくわかってるね!!」と誉めてあげたいが、「バっカモン! 科学の女王様に向かって何と無礼な!!」と激昂一喝する数学者もいるかもしれない。
■数学に対するイメージやとらえ方は人それぞれ千差万別である。しかし、受験数学の枠の外に、数学の真の世界が広大無辺に拡がっていることは事実である。どの言語で書かれているにせよ教科書や専門書が出版されている部分は、いわば、高速道路が開通している整備された地域である。一方、まだ、けものみちしかなく、辿り着けるのはエキスパートだけという魔境・秘境もたくさんある。出くわす問題は入試問題のように必ず解けるという保証はない。混沌としている部分も多く、未解決問題の底無し沼や迷路のような樹海もある。数学者たちは日夜そのような世界を探検しているわけだが、誰も立ち入ったことのない未知の領域を発見したときには、うれしくて飛び上がりたくなるほどであり、前人未到の地に自力で到達したときには目眩くような感動を覚えるものである。
■数学を学ぶことや数学者となることを万人に薦める気はない。しかし、もしもその気があるのなら、受験数学の向こうでは自由でダイナミックな素晴らしい世界がいつでも諸君の活躍を待っているのである。 [2003年7月4日]
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