『数学は芸術に通ず』 月刊「Campus Now」2004年7月号, Close-Up, 原稿
|
---|
「代数幾何学」とは?
中学や高校のときに、直線の方程式はy=ax+bの形であるとか、x2+y2=1の定める図形は円となる、と習った覚えがあるかも知れません。こうした代数方程式の定める図形を「代数多様体」といい、代数多様体を扱う幾何学のことを「代数幾何学」といいます。 そもそも「幾何学」は図形の性質を調べるのが基本となりますが、図形のどのような性質に着目するか、また、その図形がどのようにできているか、それらを調べるにあたりどのような手法をとるか、などの違いによって、位相幾何学、微分幾何学、代数幾何学などに分類されます。大げさに言えば中学・高校でも代数多様体が出てくることになりますが、ごく簡単なものしか扱いません。というのは、方程式の形を少し変えるだけで定義される図形がものすごく複雑になる傾向があるからです。だから難しいといえば難しいのですが、それをどうやって調べてゆくか、そこが面白いところともいえます。 代数幾何学において特に面白いのは対象が具体的なので自分で計算して実験してみることができる点です。面白い現象や美しい法則を探し当てたり、自分の予想が正しいか確認したりするのが目的ですが、計算している間はこれまで知らなかった未知の世界を歩き回って探検しているような気持ちになります。最初は曖昧な表現しかできない不確かな予想でも試行錯誤を経てきちんと証明できる命題にリファインされれば、一つの定理発見に辿り着いた事になるわけです。何年も分からなかったことがある日突然分かることもあります。 人それぞれ研究に対する捉え方は違うでしょうけれど、自分にとっての数学は楽しみ以外の何物でもありません。数学は問いかけさえきちっとできればそこにおのずと答えが導かれるということもあります。ですから、問題の答えを見つけだすことだけが楽しみなのではなく、自分だけの問いを探しだし、そのことについて考えることが楽しみなのだ、といえるかもしれません。 |
二人の恩師との出会い
子供の頃、自分で考えて何かを発見してとても感動した、という体験がある人とない人では人生がまったく違ったものになるでしょう。あるいは周りで「面白いことを考えたね」と認めてもらった経験があるかどうかによってもまったく違うものになると思います。私は高校時代に岡部進先生という先生に3年間、数学を教えていただきましたが、本当に数学が心底面白くて、教えている先生ご自身が楽しくて仕方がないという様子でした。決して受験のための数学という考え方をせず、点を取るテクニックなどは眼中にはないようでした。受験テクニックを覚えた私には「おいカジ、最近だめだな、パターンにはまって」と言われるくらいでした。大学では本当は物理を専攻しようと思っていましたが、岡部先生の影響で芽生えた数学への興味が押さえ切れなくなり、数学科へ進学しました。そこでもう一人の恩師に出会いました。それが代数幾何学者の有馬哲先生でした。有馬先生も学生一人一人の意思をとても大事にされる先生で、ご自身の研究についてはあまり積極的に話されませんでした。無理な方向付けはせずに、学生の自主性を非常に大切にしてくれる先生でした。どちらの先生も数学に対して何かをしなさい、とは決して言われませんでした。こうしなさい、ああしなさい、と指導をされたい学生にとっては不満で、辛かったかもしれませんが、学生の個性や自主性を尊重する二人の恩師と出会いがなければ今の自分は存在しないと思います。 |
数学は芸術だ!
高校までの数学は、計算練習や問題解法に重点が置かれますが、大学の数学科における数学は論理をきちんと理解することが重要になります。正確に計算できることはもちろん大事ですが、なぜこのような式が成り立つのか、またそれをどうやって証明するのかということに焦点が当てられます。中学・高校と、わけのわからない計算練習ばかりを技術訓練のようにやらされたら面白くないだろうし、それで数学が嫌いになってしまう人たちはかわいそうだと思います。また、それでは数学もかわいそうだと思います。高校まで技術訓練に終始し急に大学や大学院で自由な発想を求められても、どうすればいいか分からなくなる学生がたくさんいます。また、数学がよくできてもあまり数学が好きではない学生もいます。 数学には面白さと同時に美しさがあります。先人たちが発見してきた数学の真理は決して色あせず、何百年何千年たってもその価値が失われることはありません。そういう美しいものの探求という点において数学は非常に芸術に近いのではないかと思います。しかし、誰にでも理解できるか、と言われるとそこは難しく、ある程度の訓練が必要になります。その点が音楽や美術とは違うところです。でもだからと言って、初めて触れる人には分からなくても仕方ないという立場に立って努力を放棄してしまったら数学教育はおしまいです。何とかして数学の素晴らしさを多くの人に伝えたいと思います。 |
自分で考えるということ
研究室の学生には卒論や修士論文のテーマは自分で考えて決めなさい、といつも言っています。テーマの探し方や発展のさせ方はアドバイスしますが、テーマそれ自体は与えないことにしています。ほとんどの学生はどうすればいいか最初は分かりません。しかし、何度も壁にぶつかるためか徐々に眼の色が変わってきます。そうこうしているうちにある日「あっ」と、自分で考えることの面白さに気付く時がきます。そうなると後は放っておいてもどんどん自分の数学に夢中になって行きます。他人から与えられたのではなくずっと自分で考え続けて自分で見つけたテーマですからエネルギーが違います。何にせよ無難にこなしてしまえば単なる通過点としての印象しか残りませんが、自分でもがいて何かを得た経験のことは生涯忘れないのではないでしょうか。先生が何も教えてくれない、という学生も中にはいるかもしれません。でも、これこそが私が教わった「数学」という、何物にも換えがたい体験だったと思っています。 |
プロフィール: 横浜生れ。理学博士。
戻る |