混沌への弾道 ―早稲田大学代数幾何学セミナー懇親会史4― |
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このような酒に対する予算の増加をまのあたりにしたためか、この頃つまみに対しても、それまで無意識のうちにかかっていた最後の歯止めが、ぶちっと外れてしまったようです。黒船来航以前を第一期、それ以降中越氏の登場以前を第二期とすれば、次の節目はそのすぐあとに訪れました。それは象徴的には当時、つまみ隊長を担った者がその権限を行使して独断と偏見で、ウイロウを酒の肴として買いはじめたときではないかと思います。これをきっかけとして、チーズ、そして、それに適した赤ワインを買いはじめたようです。短い第三期、そしてこの第四期の参加人数はすでに少なくとも20人、予算は一人あたり3000円をはるかに越えていました。もうすでに、代数幾何学忘年会の様相はもう、参加者ひとりひとりが『日頃我慢したりして、買えなかったおいしいものを、とにかくこの日にこそ !!! 』、という、欲望の炸裂でした。以前私は、世間で言うバブル経済、という意味がいまひとつピンと来なかったのですが、我々の代数幾何学忘年会の爛れぶりをみていると、ああ、こういうことをいうのか!、と納得しました。 この第四期には教室内で芸を披露するものも現れました。早稲田大学理工学部教授、小島 順氏を講義中に悩ませ、赤堀克巳君と河村謙治君を代数曲線化してしまった《悪魔の線型化定理》で恐れられる若林直樹氏は、もとは木更津、船橋あたりの場末をシマとする、流しの笛吹きでしたが、笛のみでなく、ひとり水戸黄門や、××××などの芸を披露しました。セミナー中でも、“背理法の唄”や、“筧捷彦のメインテーマ”などを歌ったりして、今にして思えば、彼は根っからのパフォーマーだったのでした。また、ゲイジツ映画評論家の石田 修氏(現在JT)が登場して、たとえば、雑誌 Annals of Mathematics を庶民のものとし、楫研に新風を巻き起こしました。さらに、楫研客員シェフのポジションをもつ謎の手妻師、志村真帆呂氏が現れ、グローモードに入りっぱなしで忘年会の混沌に輪をかけました。 これからの数学のありよう、また、ときには、人間とは何なのか、という究極の問題についてしみじみと語りあったりしていた、10年前の星君たちと行っていたジョウヒンかつオゴソカでストイックな忘年会からすると、ここ数年は、ただただ混沌に向かって猛進するエネルギー体、$E=mc^2$、という感じで、隔世の観があります(type set してから読むこと)。 予算の爆発を防ぐべく、いろいろな方向に向かう皆の欲望解放の時期を分散するために、忘年会から多くの予算を喰うチーズとワインを別の日に楽しもうということになりました。これは1994年忘年会から実行しようと思っておりましたが、ブラジルからの特別ゲスト、Eduardo de Sequera Esteves氏、のこともあり一コマ分遅らせることにしました。そのような経緯で、1994年の忘年会は従来通りで、1995年の追い出しコンパは、《ワインとチーズの日》ということになりました。 【終】 Added in proof: これを境として心機一転し、これからの楫研を背負って立つ二秀才、田中良和、西 敬二に加えて、厳正なる書類審査と厳しい面接試験を経て選び抜かれた早稲田大学理工学部の精鋭、ウルトラ3兄弟の石井 学、遠藤英樹、大倉哲相、楫研のシミズケンタローこと佐藤隆光、いつも沈着冷静な角田貴光大人(たいじん、と読む)、そして、代数幾何ファッション界(なんのこっちゃ)をリードする藤原 晃画伯を新たなメンバーとして、我々、早稲田大学代数幾何グループは、混沌の時代から抜け出し、第五期、遂にアクエリアスの時代を迎えることになったわけです。 さらにAdded in proof(1995/06/23): 楫研に新たなメンバーが加わりました:上原北斗、垣内淳司、坂入紀有、渡辺 繁。これまでのメンバーもクセのある者ばかりだったのに、いったいこれからどうなるのだろう?オレは知らん..... 付記:1995年4月に発表を予定して書かれた原稿を、最近のサリン事件などのことを考慮して、加筆訂正したものです。 [1995年7月] 戻る |