アレフゼロホテル
―無限ホテル業界の軌跡―
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昔, 銀河系のかなたに, 『アレフゼロホテル』というホテルがオープンした. そのホテルの宣伝文句は
予約なしでいつでも何人でも泊まれる!
無限の客室数を誇るアレフゼロホテル!!
というものだった. 実際, このホテルの客室は1号室, 2号室, 3号室, ...と, 1から始まって番号がいくつまでも振ってあり, 言わば『自然数』と同じ数の, 無限に多くの客室を備えたホテルであった. かと言ってアレフゼロホテルは物理的に巨大というわけでもない. それは今にしてみれば当たり前となったバナハ-タルスキ式生体圧縮解凍技術の原始的応用例にすぎなかったが, 客室数が無限にあるという点は全宇宙ホテル史上初めてであり, まさに画期的だった.
アレフゼロホテルの客室はすべてシングル仕様であったが, それが無限にあるという点だけでなく, 満室でも予約なしに飛び込んでいつでもチェックインできるというのも本当だという. あるとき1000人のツアー客を乗せた宇宙船が立ち寄った. それはトラベルエージェント『サイエンス』 の企画した『宇宙の秘境・魔境探検ツアー』のひとつ, 『''標数 p の世界'' ツアー』の一行だった.
そのときホテルは満室状態だったがホテルマネージャーは「n号室にお泊りのお客様. 大変申し訳ありませんが n+1000号室にお移り願えませんでしょうか」と, ホテル全室を占めている客たちにとても丁寧に帰納的アナウンスをした. たとえば n=999号室に泊まっているのであれば n+1000=1999号室へお移り願えませんか, というわけである. 全宿泊客の移動が完了すると当然のことながら1号室から1000号室までが空室となる. フロントは「お客様. ちょうど良いお部屋がございます. 1号室から1000室分, 番号続きでご用意させていただきました」と少し誇らしげに言いつつツアーの一行を出迎えたのであった. ツアーコンダクターだった人は後にその時のことを 「いきなり押しかけたのに, それも全員分続き番号だなんて, 本当に魔法のようだった」 と洩らしたそうである (予約を取らないなんてかなりいいかげんなツアーである. 大体, 目的地からして怪しいが).
またあるときは, 「アタシ, 今, 生まれてからちょうど2,038,074,743秒経ったところなの. だから, お部屋は絶対, 2,038,074,743号室にしてちょうだいネ!」なんて言う客が来たこともあった. 手袋のようなものに付いているパネルスイッチをペタペタと触りながら入ってきて, そのディスプレーを見ていきなりそう要求したのである. フロントはにこやかにその客の応対をしたが, 何がちょうどなのかよくわからなかった. でも客のペタペタやっていた物が最近流行の手袋算盤だということはわかった. これは一昔前のスパコンクラスの処理能力をもつ小形量子コンピューターの一種である. また, この手の客は地球出身だろうな, という推測が正しいことも後で思念入力式宿帳を見てわかった. ホテルはそのときやはり満室状態だったがフロントが「少々お待ちください」と言っている間にマネージャーが「2,038,074,743以上の番号のお部屋にお泊りのお客様. 大変申し訳ありませんが隣の一つ番号の大きいお部屋にお移り願えませんでしょうか」 と部分帰納的アナウンスをした. あっと言う間に2,038,074,743号室が空室となり, その地球人客の希望に沿うことができたのだった.
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そんな具合にしてアレフゼロホテルの経営は順調で, 宣伝文句にたがわず満室だからといって飛び込み客を断るなんてことは一度もなかった. しかしあるとき, 飛び込みとしては前例のない規模の団体客が来てしまった. 自然数を背番号にもつ3Dサッカーチーム『ナチュラルメイツ』 のフルメンバーを乗せた宇宙船がいきなりアレフゼロホテルにやって来たのである. いかにもワープ航法から抜けたばかりという感じでホテル前に忽然と出現したので宿泊客たちはかなりびっくりしたらしい. そんなことはよそにナチュラルメイツの面々は, ホテルから発信されている宣伝広告画像をスクリーンで見て即座にその日の宿をアレフゼロホテルに決めた. それまでいつも無限に多くのホテルにメンバーがばらばらに分散して泊まらなくてはならなかったので, アレフゼロホテルの「何人でも泊まれる! 無限の客室数...」というところがいっぺんに気に入ってしまったのである.
しかしアレフゼロホテルにしてみれば初めての, 人数の有限ではない団体客の飛び込みである. 飛び込みには慣れているがそれは限られた人数の場合である. 備えている客室数と同じ数の客が予約なしで来たのは初めてだった. しかも悪いことは重なるものでホテルは満室である. ボーイたちはエライことになったとおろおろするばかりであった. ところがホテルマネージャーは少しも慌てずに「n 号室にお泊りのお客様. 大変申し訳ありませんが, ―空欄 (1)―」と, 宿泊客に得意の帰納的アナウンスを行いつつフロントにある指示を与えた. 客室の用意には1000人乗り宇宙船のときよりはほんの少し時間がかかりはしたがフロントは「お客様. ちょうど良いお部屋がございます. ―空欄 (2)―」と, マネージャーに言われたとおりに用意した客室の説明をし, ナチュラルメイツを全員無事客室に案内することができたのである.
後で聞いたところによると, マネージャーはフロントに「ナチュラルメイツ程度の団体客だったら何組来ても大丈夫さ」と豪語したらしい. おろおろするばかりだったボーイたちはそれを聞いて「すごい! やはりカントル星出身はどこか違うなあ」と感心したり, 「どうやってホテルの定員と同じ人数を満室の客室に振り分けたんだろう?」と不思議がったりしていた.
無限人数の団体の飛び込みにきっちりと客室を用意してみせた, それも満室だったのに, という噂は瞬く間に全宇宙に広まった. そんなアレフゼロホテルの噂を聞きつけて, あるときなんと『有理数』を背番号にもつ0歳児野球チーム『ラショナルキッズ』が泊まりに来てしまった. あいにくホテルは満室だし, 今度こそ全員は泊めきれないのでは, とボーイたちはハラハラしていたが, それでもマネージャーとフロントの連携プレーは見事で, 結局メンバー全員分の部屋を用意したという.
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こうしていろいろな経験を積むにつれて, ホテルマネージャーやフロントだけでなく心配性のボーイたちも「どんな団体が来たって大丈夫なんだ, なんてったって客室が無限にあるんだもの」とアレフゼロホテルの大きさに自信を持ち始めていた. ところがである. あるときさらに『実数』を背番号にもつ電脳ゲートボールチーム『リアルスターズ』が泊まりに来た.
マネージャーとフロントが悪戦苦闘するのだが今回ばかりはどうにもうまく行かない. クロネッカー星出身のチームリーダーは 「お前らが悪いんだ. お前らの能力に問題がある. 無限に部屋があるのだから全員泊まれるはずだ」といってきかず, さらにマネージャーがカントル星出身だと知るや積年の恨みを晴らすが如く, ここぞとばかりに攻撃を始めた. 選手達も口々に「誇大広告で訴えてやる!」, 「 酒を出せ!!」などと叫び出し, 仕舞いにはクリンゴン星出身であることを丸出しにして暴れ出す選手もいて, 大変な騒ぎとなった.
たしかに無限に部屋があるのだからいくらでも客を泊めることができるはずなのに, どうしてうまく行かないのだろう, とホテル側は必死だった. しかし, そのとき滞在していた『天の川民宿連盟』の一行は興味津々, というよりも正直言って大喜びだったらしい. というのも前代未聞の面白い事件に遭遇できたということだけでなく, 彼らは丁度, アレフゼロホテルにおいて無限の数の客室の使い方について研修中であり, これは貴重な体験が得られる, と直感したからである.
結局その騒ぎはどうなったかというと, 普段チームではあまり目立たない二軍のある選手があっさりと解決してしまったとのことである. どのように解決したのかというと, これまでのように宿泊客の移動によりうまく全員泊まれるようにしたというのではなく, たとえ全室空室であったとしても, 背番号が (0,1) 開区間内に入る一軍選手すら全員は泊まれない, ということをみなに上手に説明してみせたのである. その鮮やかさは逆上していたチームリーダーや選手達が呆気に取られる程であり, 居合わせた全員がその説明に納得したので騒ぎが収まったわけである. 耳や眉の形状, まぶたの厚味からみてその選手がバルカン星出身であることは一目瞭然であり, このような話を聞くと宇宙連邦の科学士官にバルカン星出身が多いというのもうなずける.
こうして事件は一件落着となったが, そのときたまたまそこに滞在していたアレフゼロホテルのオーナーはその二軍選手のきわめてエレガントな説明にいたく感心し, チーム全員が気持ちよく泊まれるようホテルをもう一軒建てることにした. 『リアルスターズホテル』というそのものずばりの名称で, まさにすべての実数が客室番号として振ってあるホテルであった. 宣伝文句はもちろん,
予約なしでいつでも何人でも泊まれる!
無限の客室数を誇るリアルスターズホテル!!
である. 当時オーナーは, これでどんなに大きな団体がいっぺんに泊りに来ても大丈夫だろう, と安心したとのことである.
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さてこのリアルスターズ事件をきっかけとして, 無限にも大小がある, という驚くべき事実が無限ホテル経営者の間でいちはやく知られるようになった. それまでは, 無限には有限の場合のような大小はない, というのが無限ホテル業界の, いや, 全宇宙の常識だったから, 業界内に衝撃が走ったのは想像するに難くない.
その後, 自然数と同じ客室数をもつホテルが一般的となり, さらにリアルスターズホテル規模のホテルもあちらこちらで見かけられるようになると, 無限ホテル業界ではそれらを区別するためにアレフゼロホテル規模の無限ホテルを『a級ホテル』, リアルスターズホテル規模のものを『c級ホテル』と呼ぶのが習わしとなった.
そしてさらにa級ホテルやc級ホテルが濫立するようになると, とうとうc級ホテルでさえも受け入れることの出来ない団体客が現れ, より大きな規模を持つ無限ホテルが建てられた. それは業界では『f級ホテル』として区別されるようになったが, この頃になると客と無限ホテルの間で宿泊できるか否かに始まる諸々のトラブルが絶えず, 自然な成り行きとして遂に『宇宙無限ホテル協会』が設立されるに至ったのである.
利用客とのトラブルを回避するための方策として「無限ホテルに対して収容人員の規模を示すランク付けをしよう」という提案がなされた. 提案したのはもちろんミシュラン星出身の理事である. 各ホテルごとに無限にある客室数の規模, その無限の大きさの程度が利用客にも一目でわかるようにしよう, というわけである.
定例会議ではまず, ホテル玄関にその規模に応じて『∞』, 『∞∞』, 『∞∞∞』, ...というマークを掲げよう, というところまではすんなりと決まった. そして, 業界の符牒で言うところのa級ホテルを『∞』とすることにも異議を唱える者は誰もいなかったが, 会議で揉めに揉めたのは「c級ホテルをa級ホテルのワンランク上の『∞∞』としてよいのか?」という点だった. 言い換えると, a級とc級の中間規模を持つ無限ホテルは実際に存在するのだろうか?ということであり, ナチュラルメイツやラショナルキッズよりも大きい, しかし, リアルスターズよりも小さい規模の団体は存在するのか?ということである. この問題については, 無限ホテル業界だけでなく哲学界, そして, 宗教界までも巻き込んで大論争が沸き起った. そして現在でもミシュラン星出身の理事を中心に執ような調査・分析が進められているが問題は未解決のままである.
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宇宙無限ホテル協会におけるもう一つの懸案事項は「この宇宙にはどれくらいまで大きな団体が存在するのか?」という問題であった. というのも, ホテルの規模はa級, c級, f級, ...と年々大きくなる一方, 無限ホテル経営者たちは「いくら客室数を多くしてもいつかは泊めきれない団体客が来るのでは?」という不安にさいなまれ, 協会には「飛び込み客に応じるには一体どれくらいの規模の無限ホテルを建てれば万全なのか」という問い合せが絶えなかったからである. 要するに「∞いくつの大きさのホテルまで建てればよいのか?」ということであり, 宇宙無限ホテル協会としては『最大規模の無限』というものが理論的にでも把握できれば, と躍起になっていた.
しかし, これに関しては協会とは無関係の, やはりバルカン星出身の (正確にはバルカン星人の父と地球人の母を持ち, 教育はバルカン星で受けた) 退役軍人によりあっさりと, しかし, 否定的に解決された. そのいきさつは次のようである. あるときジェネシス星で連邦宇宙艦NCC-1701に乗艦していた者たちの同窓会が開かれた. 出席者には退役後, 無限ホテルを経営している者も少なくなく, 話題は自然と無限ホテル業界の事となった. リアルスターズ事件の事, そして, 例の二軍選手の鮮やかな説明に話題が及ぶと, それまで黙っていたバルカン星の出身であるNCC-1701の元科学士官は「最近, カントル星のクレルレ遺跡から発見された古文書に, 今伺ったその説明と論理的に同値である内容が書かれています」とコメントした.
それを聞いた医師でもある元同僚は, この元科学士官の親友に宇宙無限ホテル協会で懸案となっている2大問題について説明し「さすがの君もこれには答えられまい. どうだい, うん?」と, 面白半分に尋ねてみた.
無限の大きさのランク付けに関しては, その問題の奥深さを即座に理解し「ドクター. その中間の規模を持つ団体の存在について議論するにはまず, 団体そのものの定義を明確にしなくては論理的に意味を成しません」と指摘し, 「公理的に理論を構築すれば厳密な議論も可能かと思われます. 私はまだ実行しておりませんが」とコメントするにとどまった.
ところがもう一つの問題に対しては「ナイーブな意味で団体という概念を捉えるならばいくらでも大きい無限のメンバーをもつ団体がこの世にありえます. 実際, ―空欄 (3)―」と, その場でいとも簡単に説明してしまった. そしてこう付け加えた. 「今説明したことと同値な事柄がやはり最近, カントル星のアナレン遺跡で発見された古文書にあります」
「ジム. 今の聞いたかい!」質問した当人である医師はびっくりして返す言葉も無く, 隣にいたNCC-1701の元艦長に思わず声をかけた. ジムと呼ばれたその人物は医師と同じく地球出身で, 退役後はc級ホテル『エクセルシオール』とf級ホテル『エンタープライズ』を経営しており, また, 宇宙無限ホテル協会の相談役も務めている.
初めはにやにやしながら隣で聴いていたこの無限ホテル経営者も元科学士官の言葉には驚きを隠せなかった. そして, この問題は無限ホテル業界での長年の懸案の一つであるということをとくとくと親友でもあるその元科学士官に説明し始めた. 今の説明を是非, 無限ホテル業界誌『ホテルインフィニティ』に発表するよう勧めるためである. 元科学士官は, 自分の説明した内容は余りに当たり前のことに思えたし古文書にも書かれていることなので発表するのを大分渋った. しかし, 元上官であり大の親友である人の強い勧めなので結局, 古文書の解説記事として発表することとなり, 問題解決に至ったわけである.
「おい, お前! 何なんだ, これは!」
「いや, ですからチーフ. これがあの自称『何でも業界リポーター』って奴の書いた原稿なんですよ」
「ばかもん! そんなことわかっておるわ. おれが言ってるのは, どうしてこんな与太話がうちの雑誌に載せられるかってことだ! うちは科学啓蒙雑誌ってことになってるんだぞ! そこいらの怪しいオカルト雑誌とは違うんだ! お前, わかってるのか?」
「はい. いや, その...」
「よくまあ, こんなデタラメの嘘っぱちが書けたもんだ. 何が『生態圧縮解凍技術』だ! 大体, 『無限ホテル』なんてどこにある? どうだ! 答えてみろ!」
「そんなに怒らないでくださいよ. 落ち着いてください. もともとチーフが引っ張ってきた奴なんですから...」
「うるさい! 黙れ! だから余計に腹が立つんだ. ええい, 忌々しい...」
「それに, ほら, チーフも出張するたびによく自慢してるじゃないですか. 『お前と違っておれは顔が利くから, いつ行ったってちゃんと部屋を用意してくれるんだぞ!』って」
「だからなんだ?」
「だからあれは, c級ホテルなんですよ. この原稿で言うところの」
「えっ!?」
参考メディア
[1] 彌永昌吉: "現代數學の基礎概念 (上)", 弘文堂書房 (1944).
[2] NBCテレビシリーズ "Star Trek", Paramount Pictures. 1966-1968.

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