学部1年生の頃―A先生に叱られた!?― |
---|
1 |
自分が大学に入学する前後のことを思い出してみると, 自分の志望進学先を物理学科にしようか数学科にしようか, ずいぶんと迷った記憶があります. 結局は, とりあえず数学科に入って数学, とくに, ``微分幾何学''といものをみっちりと勉強してから, 物理学科へ入り直して, 相対論や宇宙論を勉強しよう, という壮大な (?) 計画を立てていました. 相対論や宇宙論を勉強するのには, 微分幾何学が必要だ, と教えてくださったのは, 高等学校3年間ずっと数学の担当だった岡部 進先生 (現在, 日本大学) からのアドバイスでした. それが, いつのまにか数学を専門にしてしまったのには, また, いろいろな事情がありますが, 今はそれを傍に置いておいて, 数学科1年生になってどんな感じだったかを話してみたいと思います. 入学したところはこの早稲田大学理工学部数学科でした.
講義に対しては, 自分の面白いと思った講義には必ず出席するようにし, この講義は, ムダである, 出ても意味がない, などと思った講義には全く出席しないという学生でした. 必ずしも楽に学費を払っていたわけでもなく, 講義の内容についての受講者としての評価は辛辣だったのですが, 平均的な学生に比べると, 講義に出ることは好きな方だったと思います. とても幸いなことに, 1年のときの数学の講義はどれも好きで, 必ず出るようにしていました. どんな講義があったかというと,
|
2 |
さてその数学の講義の内容ですが, 数学A/Bはそれぞれ, 標準的な一般教養の線型代数/微分積分でした. 浅枝先生は, とても淡々と, というか, 沈着冷静, かつ, 理路整然とした感じで講義をなされる先生でした (本来講義はそうあるのが当たり前なのかも知れません). また, 清水先生は, いつもにこにこしながらとてもうれしそうに講義をなさっている様子が印象的でした. 当時の一般教養のクラス編成は学科別でなく第2外国語のクラス単位で, 実際我々のクラスは数学科の他に, 機械工学科, 電気工学科, 電子通信科など, いろいろな人間がいてとても面白かったのですが, 数列や級数の収束に関することをかなり突っ込んで時間をかけて講義されていたのを覚えています. 今現在, 自分の教えている数学Bの内容に比べると, かなりハイレベルだったような気がします.
一方, 数学概論A/Bは数学科の専門科目ですが, 概論Aは順先生本人に一言で言わせると, ``カテゴリカルな線型代数なのだ''ということだそうで, それと関係しているのか無関係なのかよくわかりませんが, 双対空間や完全系列, 準同型定理, 力学系, 量の理論から電気回路まで出てきてびっくり箱のような講義でした. たとえば, 2×2行列を与えると平面にベクトル場が定義でき, それによって流れが定まる, という講義を聴いたときは, 行列みたいに真っ直ぐなもの (当時はそういうイメージを持っていた) が曲線になってしまうのかあ! すごい話だ, と驚きました. この話は非常に好きなので, 以前勤めていた大学 (横浜市立大学文理学部) の線型代数の講義で説明してみたのですが, 割合好評だったようです. また, 線型空間の基底というものは, 初め何となくつかみ所のないものですが, 直線上の長さ (変位だったかな) の1次元線型空間というものを考えると, センチメートルや, インチなどの単位は基底と見做せ, 単位の換算は基底の変換に相当する, という講義を聴いたときは, なるほど! へーって感じでとてもびっくりしました. 順先生の講義で驚いたことを順々に (!?) 挙げてゆくと切りがないのでこの辺で止めます (興味のある人はNHK出版の順先生の線型代数の本を見てください). 結局, カテゴリカル線型代数とは何か, 分からなかったのですが (当時, カテゴリー論を知らないのだから``カテゴリカル''を理解するのは無理ですが), 順先生の講義から漂ってくるある種の `様式美' のようなものは感じられ, これがそうなのかなあ, と勝手に解釈していました. その一方の概論Bはどんなだったかというと, 入江先生独特のゆったりした雰囲気で, イメージとしては揚子江か黄河, 中国うん千年, という感じで, バナッハ空間の不動点定理というものから陰関数定理や逆関数定理, 常微分方程式の解の存在と一意性, などがほろほろと紡ぎ出されてくる昔語りのような講義でした. 一つの定理からいろいろな定理が導かれる様子にとても感動した覚えがあります. あまりたくさんのことを講義で話されたり, 板書されたりする先生ではなく, しみじみと数学について語ってゆく感じでした. 数学A/B, そして, 数学概論A/Bの講義の様子は全く違うのですが, どれをとっても, いいなあ, という感じでした. これは後から考えてみると, その雰囲気が好きだったということかも知れません. 今もって思えば, 講義をする側と受ける側の相性という意味でも, 大変恵まれていたのではないかと思います. 数学以外の科目でも, 解析力学を主な内容としていた物理学や, また, 僕は実験が好きなので, 物理/化学基礎実験も面白かった印象があります. 高校のとき教科書には出ているが実際にはできなかった実験を, 現実に自分の手で行うことができわくわくした覚えがあります. その反面で, うんざりしたのは, 語学, 特に, 英語の講義です. なぜうんざりしたのかはここでは述べないことにします. 講義とは並行して, 都数 (``東京都内数学科学生集合''の略だったかな?) の人達が面倒を見てくれるセミナーにも参加していました. そこでは一つのテキストを決めてセミナー (参加者が順番に内容を説明するという勉強方法) をするわけですが, そのときのテキストは, スピバックの多変数解析学で, 面倒を見てくれたのは, 高野さん, という方で, とても優しい人という印象があります. この本のセミナーをしていて, とても感動した事がありましたが, これは後に述べることにします. 数学とは別の話になりますが, 僕は大学にはいるまでコンピューターというものを全く知らなかったのですが, 同じ語学クラスでかつ数学科の岡本 寛という友人 (現在は代々木ゼミナールの看板先生) が科目登録した許可証を使って, 自分で作ったいろいろなプログラムをIBMの大型計算機で走らせてみるということに熱中しました. 当時は, 世代のわかってしまう話ですが, 今のようにディスプレーのくっついたパソコンとったものはまだなく, 友達のIDを使いつつ, カード1枚1枚に自分で作ったプログラムの一行一行を穿孔機でパンチし, そのカードの束を受付に出します. そして, 次の日行ってみると, 自分のプログラムを実行した結果のプリントアウトが棚におかれている, という具合です. プログラムを組むということは, 初めての僕にとっては非常に面白く, 夏休みは数学はそっちのけで, コンピューターにかなりのめり込み, ほぼ毎日学校へ行って, 自分の作ったプログラムを走らせることに熱中していました.
|
3 |
そんな感じで, 1年生の夏休みも過ぎていったのですが, 後期が始まってしばらくすると, 僕にとっては今でも決して忘れられないことが起きました. 数学の講義にはそれまで同様, 何となくいいなあ, 面白いなあ, という調子で出席していたのですが (ここが問題), 数学の講義に音楽でも聴くように出席するだけではだめだ, ということを痛感させられる事が起きたわけです. 極端な言い方をすれば, そのような調子で出席するだけでは, 場合によっては数学的内容の理解の何の足しにもならない, ということです. オオゲサなようですが, 僕にとっては, 一大事件でした. というのも, 多分このことがなかったら, 自分は数学者にはならなかった, または, なれなかったと思うようなことだからです.
それは何かというと, 数学Aの前期の期末試験が戻ってきた事そのもの, と言ってもよいし, それに端を発する一連の事と言ってもよいです. なあんだ, そんなことか, って思うかも知れませんが, とにかくそのとき, ただテストの点が悪かったというだけでなく, 自分の答案には赤鉛筆の字で大きく
と書かれていました. 点が悪い, というだけでなく内容があまりにヒドイ, ということだったのだと思います. そのような答案を受け取ったときの心情を想像してみてください. 戻ってきた自分の答案を見て, がーん, とかなりショックを受け, でも, 何がそんなにヒドイのかわからないので, 浅枝先生のところに行って, そのことを尋ねました. 今から考えると, そこまで書かれてよく先生のところへ行ったものだ, と思いますが, とにかく行ってみると, どれどれ, という感じで温かく迎えてくださり丁寧に答案を見直してくれました. しかし, 内容がひどいという事実には変わりありません. 浅枝先生に直接叱られたり, 怒鳴られたりしたわけではないのですが, そのときのショックは大きく, 答案を見たときは頭を思い切り何かで殴られたような感じでした. そもそも, なぜそんなにショックかということについて分析してみると, 一つには, 大学に入るまで, 自分は数学がよくできる, 自分は理系のセンスがよい, などなど, いろいろな自信, そして, 自分の能力については棚に上げてプライドだけはとても高い, ということ (まあ, 往々にして人間は, そうではありますが), そして, もう一つには講義は自分は一生懸命に聴いていた, というだけでなく, よく聴いていてその場その場では講義の内容を``理解している'', という, 自負があったからだと思います. 物事を自分が正しく理解しているかどうか自己判断するのは非常に難しいことですが, その当時は分かったつもりになっていたわけです. ところがその答案上のコメントの一言で, 自分を保護していたそれらのもの (自信, プライド, 自負, e.t.c.) がこなごなになってしまい, ほとんど, どうしてよいかわからなくなり, 打ちひしがれてしまいました. 別の見方をすると, それまで, 講義は楽しいなあと思っていたその一方で, なんとなく, いまひとつよくわからないところがあるなあ, という心の奥深いところにはっきりさせずにおいた何かを図星にされてしまった, ということもだったかも知れません. とにかく, すべてのことに絶望してしまいました. そんな大げさな, って思うかも知れませんが当人にとっては, お先真っ暗という感じになってしまい, 相対論, 宇宙論への壮大な夢もそのときは消し飛んでしまいました.
|
4 |
でも, あまり長い間くよくよする性格でないためか, そのうち, このままではどうしようもないのでどうにかしてみよう, とにかく, 線型代数を自分自身で勉強してみよう, 浅枝先生を驚かせてやろう, という気になりました. 講義で使っていた教科書は (実は未来の自分の恩師の書いた本でしたが) 自分には向いていないのではないかと思い, 生協に自分に向いた解りやすい線型代数の本はないか, と探しに行きました. 使っていた教科書は, 論理的に物事を理解する, という数学の第1ステップがクリアできた時点で読むと印象は全く違い, これほど分かりやすく丁寧に書かれた線型代数の本はない, 言えるほどです. でも, 当時の僕はそんな第1ステップもクリアされていず, その本の帯には「初学者の渇きを癒す」と書かれていましたが, 癒されずに干からびてしまったわけです.
とにかく, 生協で, これなかなかいいじゃん, と思ったのが, 東大出版会から出ていた斎藤正彦氏の教科書でした. その本を買ってどのように勉強していったかというと, 定義, 定理, そして, その証明などを読み進み, 証明などでは省略されていると思われた箇所は自分なりに補足しながらノートを作り, 一つのテーマについてひととおり理解したと思ったら, 練習問題に挑戦する, という, 今思えば当たり前の勉強方法ですが, 大学に入ってからそれまでそのようにしたことがなく, とにかくそのような作業をやり続けました. このとき, とても意外だったのは, 自分でノートを作りながら証明などを読んだり, 練習問題を解いたりしていると, だんだんとその世界にはまり込んでゆく感じで, 数学の講義を教室で聴くのとはまた違った面白さがある, という発見でした. どこが違うのか, とか, どこが面白いのか, という点については, うまく言葉で説明できないのですが, 気がつくと冬休みの時間をほとんどこの作業に費やしていました. そして, ひとたびその面白さを知ってしまうと, 1月になり講義が始まるころには, 早く春休みになってまたこの作業に没頭したい, 線型代数の本を読んだら次は何を読もうかと思い, 生協などでいろいろな専門書を物色するようになっていました. そして, またこの頃には相対論, 宇宙論への夢が復活し, 微分幾何学や多様体論の本, そして, 相対論の本を, バイト代をつぎ込んで買い漁り始めました. 物理数学や解析力学, 微分方程式, 力学系なども好きで, できるだけいろいろな数学を勉強してやろう, と意気込んでいました. 結局, 数学Aの答案返却が発端となったことですが, 僕にとって非常に重要だったのは何かというと, 自分で数学の本を読むことの楽しさを知ったことです. または, 自分で数学を勉強することの楽しさ, と言ってもよいと思います. だから, 大学の数学科に入学して, 数学を勉強したいのだけれど, 高校の数学とはあまりに違いすぎて, どうしたらよいかわからない, という人は, まずは自分で本を読むことの面白さを知ることが大事なのではないかと思います. その際数学の内容の理解は, 少し乱暴ですが, 二の次でも構わないと思います. 実際, 僕の場合ノートをつくって勉強したと言っても, 今にして思えば, 線型代数のほんのひとかけらに食いついた, という程度だったとも言えます. わからない箇所もいくつかあり, また, 解けない練習問題もかなりあったように思います. わからないところがあると気分的にはすっきりしないわけですが, そのような事柄も, 他の数学を勉強したりしてしばらくすると, いずれはわかってくるものです. また, 最も簡単な方法としては, よくわかっている人に教わるというのもあります. あまり細かいことにこだわらずに, 100%の理解よりもまずは楽しさを知ることが大事だ, ということです. 最後に, 初めの方で言ったスピバックの本を読んでいてものすごく感動したということについてお話しして終わりにしたいと思います. 初めの頃その都数のセミナーはかなりの人数がいたのですが, 1月頃になると, もう, 5人に満たないほどの人数になっていました. セミナーで自分がどんな風に説明をしていたかもう覚えていませんがそれでも, 僕にとっては面白かったことは覚えています. そして, 今でもはっきり覚えていることですが, そこでひどく感動したのは, 位相空間のコンパクト性に関する部分をセミナーしているときでした. そこでのコンパクト性の定義は, 任意の開被覆は, 必ず有限部分被覆をもつ, というものです. この定義を理解する際に難しい点は, コンパクトの定義は, 位相空間の勝手に与えられたどんな開被覆に対しても, つねにその中から有限個の開集合を選んでその空間をカバーするようにできる, ということで, 単に有限個からなる開被覆が存在するということとは, 意味が違うということを理解する点だと思います. こう書いてしまえばその違いは明らかですが, しかし, コンパクトついて書かれている部分をセミナーで誰かが説明したときには, その定義の意味がよくわからず, 特に``任意の''という言葉の意味がよく分かってなかったのですが, 友達といろいろとがやがやと議論していました. 結局は1年生だけではよくわからなかったのですが, そのへんところの違いを, 高野さんがいろいろな例を挙げて説明してくださるうちに, はっ, となってその違いを理解したときのことは今でもよく覚えています. もしも, 以上の話から, 結論めいた事柄を引き出すとすれば, 次の3点だと思います:
[1997年5月] 戻る |