Rio通信: カリオカ, そして, ブラジルの人々


ジンシュノルツボ (人種の坩堝)

リオデジャネイロにいると, 『人種の坩堝』という言葉を思い起こさせられる.

一般に『人種の坩堝』というと, 世界各国から来たさまざまな人種から構成されるアメリカ (合衆国) 人社会のことを指す. しかし, 『坩堝』という言葉を使うのなら, ここリオデジャネイロの方がぴったり来るように思われる.

なぜか?

坩堝とは, 金属などを溶かしたり混ぜたりするための陶製の器である.

だから坩堝というと, 何かがどろどろに溶け合って混じっている様子を思い起こすのだが, そういう意味ではアメリカは坩堝という感じがしない. 確かに多くの人種の人々がいるけれど, そして, 一定の地域に混ざって住んでいるけれど, 自分が長距離バスでふらふらアメリカを旅してみると, 『溶け合っている』という感じはまったくしなかった. たとえばニューヨークマンハッタン島の中では, ここは中国系アメリカ人の街, ここはイタリア系アメリカ人の街, ここはユダヤ系アメリカ人の街, ここはインド系アメリカ人の街. ここは, アフリカ系アメリカ人 = 黒人の街 (ハーレム), ... というように, 街を歩いてみると, 地域によって住み分けがなされていることが, 旅行者の眼にも明らかである. 坩堝というよりは, どちらかというと, モザイクと言った方がピッタリ来る.

一方, リオデジャネイロの人々を見ていると, この辺にはユダヤ系が多い, とか, 中国系が比較的多く住んでいる, とか, あそこには日本人が多いという地域が確かにある, と教わったが, はっきりした住み分けはなされていないように思われる.

説明しやすいのでここでは, 非常に雑に, 肌の色だけで比較するが, それでも, 北欧の人のように真っ白い肌をした人から, 日本人など東洋人位の肌の色の人, そして, もう少し浅黒い, 日本で言うと南方の人に良く見かける肌の人, さらに, 普通, 黒人と呼ばれる肌の色の人, そして, 黒人でも, 本当に夜のように肌の黒い人など, 千差万別である. 今は, 雑に肌の色だけで説明したけれど, 体型や骨格など見ていても, それこそさまざまな人達がいる. そして, 非常に混血が進んでいる, というのがよくわかる. 出身, ルーツの明らかな典型的な人もいるけれど, ほとんどの人については, とてもじゃなけど『この人は何とか系』などと言えるような線引きは不可能である.

ただし, これはブラジルのどの都市にでもいえることというわけではない. たとえば, サンパウロなら, 日本人またはその子孫が固まって住んでいる地域があるし, また, これはブラジル人に聞いた話だけれど, ヨーロッパ系の人がほとんどの都市とか, 黒人の人ばかりの都市とか, あるらしい. ブラジル人のある人は, 都市が違えば国が違うくらいに, まったく様子はことなるとのこと.

そういう意味では, リオデジャネイロは東洋系の極端に少ない都市, とは言えるかもしれないが, しかし, 見た目で判断区別できる肌の色だけをとっても, それこそ無限階調のグラデーションが見られる. 出身地の違いから来る対立など, 観察力に乏しいのか, 滞在している期間が短いためか, まだ, 見えてこない.

以上が現在のところの印象で, 何を無知なことを言っているのか, または, 何と観察眼のないことを言っているのか, などと, お叱りを受けるかもしれないが, とにかく, 今のところ自分にはそう見える.


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