有馬先生の思い出

米田 元

─学部時代─
有馬研を最初に訪れたのは,私が学部3年生の時. 有馬研を志望した同級生,7,8人くらいと共に, 当時51号館5階にあった研究室内に並んで立っていた.
「ハーツホーンをどこまで読んでいるか言いなさい」
と先生がおっしゃった. いきなりビックリした. 各自「OO章までです」などと順に言っていった. 全く読んでいなかった私は,「読んでません」と答えた. 2つのグループに分けられた. 先生は私に
「君は何がやりたいのか?」
と尋ねた. 私が「なんでもやります」と答えると, 先生は「じゃ,相対論を一緒に勉強しないか?」とおっしゃった. これが,私の先生との出会い,そして相対論との出会いでもあった. だいぶ後で気づいたのだが,これはゼミ生を1軍と2軍に分ける作業であり, 私は見事に2軍行きになった,ということらしい.

─修士課程時代─
先生の指導を受けながら,相対論を学び,修士論文も意外に早く仕上げた. それでも先生は,私が博士課程に進みたいと言うことに対し, いい顔はしなかった.

「相対論で博士号を取るのは難しいぞ」
とおっしゃった. 私は「なんとか頑張りたいのです」と後に引かずに頼み込んで, やっと承諾してもらった. 厳しいことも言われたが,先生は私をほめてくれたことがある.
「君は特に腕力がありますね」
と.忘れられない一言である.

─博士課程時代─
先生が本を執筆なさっていて,私はお手伝いすることになった. 毎週のように先生から原稿が届いた. それから私が博士号の申請をしたとき,先生は教室会議等で, 私を後押しするのにだいぶ苦労なされたようで,申し訳なかった. 博士課程に限ったことではないが,我々有馬研の者と, 楫研の学生は,有馬先生の部屋のほとんどを占拠していた. 先生の居場所は奥のソファか,連絡事務室であった. 有馬研に入った当初からこうだったので, 私はこれが普通なのかとずっと思っていたが, 今から思うと,とんでもない状況であった.

─助手時代─
先生を車で送り迎えすることが多くなった. 毎回片道1時間あまり,先生と2人で会話した. 先生はよく車の中から外を見ながら

「あのビルは,OOのビルだよね?」
と私に尋ねた.私がそちらを見ようとすると, 先生は
「あー,君は前を見ていなさい」
と. 私が助手の任期を終えるとき,先生は定年退官を迎えられた.

─非常勤講師時代─
先生はご入院がちで,何回かお見舞いに伺った. 先生は私が持っていった論文を,時間をかけて読んでくださり,

「面白いと思いますね」
とおっしゃってくださった. 決して「就職はまだですか?」とはおっしゃらなかった. 私が苦労しているのは,重々承知していたからだと思う. 就職できたことを,先生の墓前にしか報告できないことは, 残念極まりない.

[2003/02/16]


戻る