有馬先生の思い出

大野真裕

その一.

学部の3年生か4年生のころ,有馬研のセミナーで,私が発表しているとき,先生が何か言われた.最初,よくわからなかったので,訊きかえすと,
「お弁当を食べてよいか」
ということであった.代数幾何の初歩的なことを喋っているだけなのに,一人前として扱ってもらっているようで,とても感動した覚えがある.

その二.

確か,学部の一年生のときだったと思う.有馬先生と二人で京王線で帰ることになった.そのとき,「代数幾何は難しいというようなことを,巷でいわれているけど,本当ですか」というようなことを訊いてみた.先生の答えのポイントは,
「予備知識はたくさん要ると思いますね.」
であったように思う.

その三.

学部一年の数学概論Aの前期試験は,群の準同型定理までが試験範囲であった.採点済み答案用紙をもらいにいったときのこと.
「君は良く出来ますね.よくできる,よくできる.」
「代数の才能があると思いますね.」
と,やたらと褒められた.実を言うと,授業にも,寝坊してあまり出ておらず,試験1週間前に,勉強して試験に臨んだだけであった.そのため,内心,「やたらと褒めておだてる主義かな.」と思ったが,それが顔に出たためか,先生の褒め言葉は,ますますエスカレートし,ついには
「数学者になれる,」
これには,さすがに嬉しくなったが,先生も褒めすぎたと思われたのか,次の瞬間,
「かもね.」
と付け加えられた.答案用紙には,
「代数の才能アリ」
という言葉とともに,小学校のときに習いに行った書道塾以来のたくさんの丸がついていたが,それは今も大切な宝物である.

その五.

3年生の夏休み前に有馬研をたずねて,お話を伺った. Atiyah-Macdonaldを読んできたら,代数幾何をやるという話であった. 3年後期のはじめに,有馬研志望者が集まったが,総勢で,7〜8人いたと思う.先生は, Atiyah-Macdonaldをどこまで読んできたかを,順次尋ねていかれた.有馬研では,「Atiyah-Macdonaldを読んできたら,代数幾何」というのは,事前にかなり知られているものと思っていたが,蓋を開けてみると,そうではなかった.この情報を知っている人で,代数幾何をやりたい人は,みんな多少,読んできたようだった.その答えで,二つにグループを分けられたように思う.代数幾何グループは5人になり,どの本を読むか,話し合いが持たれた. Griffiths-Harrisか,Hartshorneということになったが,結局,Hartshorneを読むことになった.

その六.

3年生の後期から,セミナーで,Hartshorneの本を,5人で読み始め,競うようにして,有馬先生の前で,Exerciseを解いた.その後,4年生の後期ぐらいから,進路の関係で,松原隆氏との二人に減り,さらにその後,佐久間吉行氏も加わって,三人で読んで, Exerciseを解いた.三人で取り組むようになってから,私は怠けるようになってきた.そんなときに,兄弟子である楫元氏に指導してもらうことになった.最後の有馬先生とのセミナーのときのこと.セミナーの終わりで,次回からは楫さんにみてもらうというときに,先生は,突然,私に,
「楫君は厳しいと思いますね.」
と言われた.この発言の真意は今となってはわからないが,多分,私が怠け始めていたのを見抜かれて,そんなことではダメだぞというつもりで言われたのではないかと思う.    

その七.

楫先生に指導してもらうようになってから,直接,有馬先生に数学をみてもらうことはなくなったが,にもかかわらず,私にとって,有馬先生のsuggestionは,その後のほうが決定的に重要である.そのひとつは,修士の頃,そろそろ,火曜セミナー(現在の日大,月曜セミナー)にでるようにしたらというもの.もうひとつは,博士の頃で,元気も無く,度し難く出来も悪かったときのものである.当時,私の学年では,中越健之氏が有馬研に属し,私の所属は,橋本研だったと思う.ある日,突然,「大野君,大野君」と呼ばれるので,何かと思っていくと,非常勤でこられている藤田先生についたらどうかというものであった.これには,非常に驚いた.そんなことを言い出したら,藤田先生も驚かれるだろうし,と思っていると,とにかく,今度から,制度上は問題ないようになったのだから,そうしたら,というものであった.(正確な理由は思い出せない.)それで,蛮勇を奮って,藤田先生にお願いした.やはり,驚かれていたが,所属を変えると事務的にも面倒なので,所属はそのままで,東工大のセミナーにも,お邪魔することになった.私にとって,この影響は,計り知れない.どれだけ感謝しても,したりないと思っている.

有馬先生には,うまく表現できないけど,虚飾を剥ぎ取り,ぶち破ってしまうというか,世俗上のもろもろを,非本質的なものは,些事として,軽々と乗り越えてしまうといったらいいんだろうか,とにかく,肝心なときには迫力があったように思う.この点,私は,有馬門下生失格である.がしかし,やはり,有馬先生に接したものの一人として,少しでも見習えるよう,精進していきたいと考えている.

[2003/02/24]

[増補版 2003/03/26]

[字句訂正等 2003/03/27]


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