「わからないから聞いているんだ」

石上嘉康

 有馬先生は大変弟子思いであると同時に、学問に厳しい方でした。 学生を一人の人間として尊重する一方で、 甘えは許さない先生の姿勢が私はとても好きでした。 もうだいぶ前になりますが、有馬先生と出会った頃、 先生に誘われて有馬研究室の学生のセミナーに初めて出席させていただいた時の光景を、 今でも記憶しています。そのセミナー中、 発表者が何かを証明していると有馬先生が
「そこはどうして?」
と聞かれました。発表者はしばし沈黙した後、
「わかりません・・・どうしてなのでしょうか?」
と逆に聞き返しました。 大学の理系のセミナーの経験者ならだれしも知っているように、 教員の多くは学生に論理的隔たりがあると、 自分がわかっていても発表者の理解度をチェックするためにあえて質問します。 この学生もそれを知っていて、 聞き返したようでした。すると有馬先生は
「(私が)わからないから聞いているんだ。」
とお答えになったのです。 当時学部生だった私の心には、この言葉が強烈に響きました。 学生を同じ学問を志す一人の人間として対等に認めているという先生の姿勢を感じ取ったのです。 それまで学部生だった私たちにとって教授という存在はとても近寄りがたく、 セミナーなども独特の緊張感がありました。また今思い返してみると、 それとは裏腹に甘えの構造もあったように思います。 セミナーで発表するときは、教授はなんでも知っている上に、 あえていろいろな角度から質問してくるので 面接試験を受けているのと同じような窮屈な緊張感がつきまとっていました。 しかしその一方で、わからないところがあっても「わかりません」と言ってしまえば、 教授がすべて教えてくれるという甘えがあったように思います。 ところが有馬先生のセミナーでは、あえて先生自身が初めて読むテキストを使ったこともあってか、 教師と学生が共に学ぼうとするアカデミックサロン的な雰囲気がありました。 私の知る限りでは、先生は知っているのにあえて聞くということは一度もなさらなかったと思います。 面接試験とはほど遠い自由と平等が保たれて、 のびのびとやらせてもらえた一方で、たとえ学生でも「わからない」では許されず、 発表者としてきちんと準備してきて聴衆に説明し納得させるという責務があるということを厳しく認識しました。 発表者が準備を怠ったり、 発表者自身の理解が曖昧で聴衆を説得できないと、 セミナー自体が滞ってしまい、 それはすべて発表者の責任になります。 私も発表することの責務を感じながら、 その準備に時間と集中力を多く費やしたことを覚えています。

 当時の私は、有馬先生が対等かつ平等に、 私たち学生のことを同じ学問を志す同士として、 そして一数学者として認めてくださったことに大変感激しました。 そう認めてもらった限りは期待を裏切るわけにはいかず、セミナーだけでなく、 いつも有馬先生が見られていると思って、奮起して日々研究に励んでいました。 またこのように弟子に対して表面的な教育指導でなく、 学問とは厳しいものであることを教えてくださる一方で、 とても心温かい先生でした。専門も定まっていない私を、 有馬先生の研究室に入るよう誘っていただきました。また研究論文が書けはじめた頃も、 それが有馬先生の研究分野とは違うにも関わらず、 大変お気遣いいただき、対外的にもいろいろ面倒をみていただきました。 そして私が就職して研究室をはなれてからも、 いつも気にかけてくださいました。先生の博愛精神に心から尊敬と感謝をするとともに、 見習っていきたいと思います。

 自由人である有馬先生は私にとって理想の指導教官でした。 また研究者としての枠を越えて、 私の人生において有馬先生との出会いはとても大きいものでした。 先生とのすばらしい出会いが私の人間形成において大きな影響をもっていることを思うと、 このめぐりあいを奇跡的で不思議なことのようにさえ思えます。

 先生、本当にありがとうございました。 私は先生の学生だったときと同じように、今でも、 そしてこれからも、いつも有馬先生がみていらっしゃると思って、 それに恥じないよい仕事をしていきたいと思っています。

[2003/02/28]


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